韓国全羅南道木浦市の政務調査
平成21年2月5日(木)~2月7日(土)に韓国(全羅南道)へ調査研究に行ってきました。
調査研究の目的は、全羅南道庁への表敬訪問並びに木浦共生園訪問、また木浦新港の調査研究です。
全羅南道庁は、4年前に新築され24階の最上階は展望室になっていました。
道庁内部
壁のない職場が理想的であると感じた。
道知事公邸
知事公邸も直ぐ近くに整備されていましたが、町には振興住宅が建ち並び更にその整備が進められていました。
職場の様子も調査視察させて頂きましたが、壁のないフラットな仕事場は、大変開放的で機能的に感じました。
町の特産品なども飾られていましたが一部なのか軽少な展示でした。
木浦共生園では、田内千鶴子さんのお孫さんが園長を務められていましたが、寒い中、沢山の子供たちが迎えてくれました。
共生園は、保護者のいない児童、その他環境上擁護を必要とする児童を入所させ、キリスト教精神に基づき、将来健全な市民として自立できるよう保護・育成することを目的としています。
また、社会福祉を通じて日韓友好の架け橋になることを使命としています。
1928年に「乞食大将」と呼ばれたキリスト教伝道師ユン・チホが親を失った7名の子供たちと生活を共にしたのが共生園の始まりとのこと。
1938年、博愛精神に徹した高知出身の田内千鶴子(韓国名:ユン・ハクチャ)と結婚して孤児たちの養育に専念され、1951年には、6.25動乱(朝鮮戦争)中に、食糧を求めに光州に行ったユン・チホは行方不明となった後も、千鶴子氏は日本に帰らず、子供たちの養育にあたった。
そうした功労を讃え、1962年には韓国政府の文化勲章を、1965年に木浦市民賞を、1968年には、日本の皇室から藍綬褒章を受けるなど民間大使として、日韓の架け橋として重要な役割を果たしています。
現在まで、4千名の子供たちが巣立っています。
1995年には、共生園と田内千鶴子の生涯「愛の黙示録」が日韓共同映画として製作され、大勢の人々の感動を呼んだ部隊でもあります。
その園生が日本の歌を披露してくれましたが、現在の園生は70名、皆さん大変明るく元気に頑張っているようでした。
左から、西森高知県議会議長・OZAKI高知県知事、全羅南道知事と踊り子の皆さんです。
夜はレセプションがあり、全羅南道知事や道議会議長、また日韓親善協会の皆さんと交流を楽しみました。全羅南道議員の皆さんも何度か高知に来られた方もあり話しは大変弾みました。
翌日、木浦新港の調査視察に伺いイナップ(アジア6カ国7港が加盟して高知港が事務局)の取り組みや、今後の日韓交流における港の役割など伺ってきました。
実績は250万トンで50%しか満たしていない。鉄鋼材(自動車)、造船、港湾材等を中国から輸入している。
70%が輸出で30%が輸入。
韓国には、杉や檜が無く、今後建築機材等に輸入を考えたいなどの方向も示されました。
歴史資料館に行って驚いたのは、戦争中の残虐な写真が沢山展示されていました。
日本の兵士が、捕虜の首をはねる写真や銃殺現場の写真など、戦争の悲惨さと日本兵士の悪党ぶりを目の当たりにして、やりきれなく表現しようのない憤りと押さえきれない嗚咽が出る思いでした。
一方、民間の立派な庭園を見せて頂きました。広い庭にはお堀が整備され、その渡は天国への橋であり、更に庭を上に登ると神の広場だと説明を受けたが、その境地には至るはずもありません。
お昼は、全羅南道議長さんがアワビのフルコースをご馳走してくれましたが、全羅南道はアワビ養殖が盛んで、その餌になるコンブの養殖も行っているとのことで、視察調査したかったが時間が無く残念だった。是非、改めて調査に来たいと思う。
二泊目は、ソウルで宿泊したものの町の視察観光もする時間もなく帰途に着いたが、更に残念なのは黄砂のせいか靄がかかって景色も殆ど見られない2泊3日の調査研究となりました。
是非、再度渡韓の機会を持ちたいと思う。
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コメント
韓国旅行ご苦労様、土産話楽しみにしております。
新年会、いつしましょう。
投稿: ひろ | 2009年2月14日 (土) 21時05分